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病気という名刺

病気というカテゴリーにはまり込もうとする人達が確実に存在しています。ここで言うはまり込むというのは、何らかの原因で自分に注目して欲しい、心配をして欲しい、といった願望の持ち主が、病気といった一種奇妙な衣をまとって、その願望を実現させようとする努力のことです。はまり込むという日本語はすこし奇妙な感を抱かせますが、この言葉が適当のような感じがします。


彼らは心身の変化をおおげさに喋ります。またその変化に注目し、心配し、真剣な対応をして貰いたいと望みます。次第に人から心配されるには、傷ついた衰退した自分でいなければならない、といった観念を抱くことでしょう。これはひどく習慣化され、同一性の問題を抱えている人ならば、その衰退した憐れな自分が、自分の本当の姿だとなるようです。これは驚くべきことです。つまり出発点の心配されたいといった願望はうまく隠されて、次第に本物の病人へと変わっていくのです。


まあ病気に「本物」も「偽物」も無いような気がしますが、例えば絵に描いたような「本物」がいるとしましょう。上記の彼らは、そういった本物以上に、本物っぽくなっていきます。真似をしているとかそういった意識的な努力ではなくて、病気に吸い寄せられるようにして本物になっていくようなのです。病気の吸引力は変わらなくても、吸い寄せられる側がどう思っているのかということが重要なのです。つまり彼らのことですが、彼らが病気を求めているのか、いないのかによって、大きく進行の度合いに違いが生じるのです。


ここでは様々な表面的な矛盾が発生します。つまり彼らは「苦しい」と言いながら、実際のところ自ら希望して、自ら進んで、苦しんでいる自分になっているということになるのです。自分自身が分からない彼らは、人格障害や病気の診断チェックのようなものを見て、その項目全部に自分が当てはまるというだけのことで、なんとも不可思議な努力をします。項目が彼らのアイデンティティとなりえるはずがありません。人格障害といった概念が彼らそのもののはずがありません。しかし、哀しいことに彼らは病気という肩書きにはまり込み、自分自身の行動規範をそういった先輩方や、友人から受け継ぐのです。


しかし彼らの本当の問題とはなんなんでしょう。僕はアイデンティティの問題よりも、どのように心配され対応されても、心の芯からは信じ切れていないといったところがもっと深刻な問題のような気がしてなりません。主題がはっきりしませんが、このテーマはこれからも考えていくことになるでしょう(*ーー*;)


≪補足≫

今回は記事は前から書きたかった内容です。ずっと躊躇していたらすっかり時間が過ぎました。僕は執拗な他力本願をあまり好ましく思いません。そういった意味でも自分と向き合うといった意味においても、今回の記事を書きました。また個人的すぎる断定的すぎる表現もありますが、これは一例にすぎずみんながこうだというつもりは毛頭ありません。ご理解お願いいたします。



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