本当の自分
二人だけの閉鎖的な関係を常に求めている彼らには、それを手にしてもそこに安住できないといった悲しい傾向があります。いろいろな問題が重なってそうなってしまうのですが、ここではその一つでもある「新しい自分を見せることの恐怖」について書きたいと思います。
彼らの中には対人関係において、ある種の窮屈を感じずにはいられないといった心性をもっている方がたびたび見られます。またそれは親密であればある程に強烈になっていきます。この窮屈というのは受け入れて貰えるだろうか?といった不安。嫌われたり変に思われたりしないだろうかといった憶測が重なって、激しい葛藤に自らを突き落とすといったものです。
冒頭でも述べましたが「新しい自分を見せることの恐怖」。彼らの対人関係とは、はじめに相手が自分に求めているような人間像を敏感に察知し、その通りの自分を作り出す(または自分の内面から選択する)のですが、仲良くなっていくと彼ら独特の、自分をすべて受け入れて貰いたい。理解して貰いたい。甘えさせて貰いたい。といった考えが強く芽生えてくるのです。
そこで彼らは最初演じていた人間像を破り捨て、徐々に本当の願望に突き動かされている自分を相手に見せたいと思うのです。つまり当初の自分は嘘で、仲良くなれば本当の自分を見せたいという事です。この欲求が出てきた頃に、やっと冒頭でいった「恐怖」がでてくるのです。ここでは二つのパターンを考えることが可能です。
1.それがとても強い欲求なので、そのまま本当の自分をだす。
2.それはとても強い欲求のために悩む。(あるいは別の人を捜す)
境界性人格障害の人であってもいくつものパターンがあるのです。ただ共通している事は、人間関係が続きにくいといったことです。たとえ1を選ぶタイプの人でも、最初は70くらいの本当の自分を……次は95くらい……次は120……次は……といった風に限りなく本当の自分といった不思議な項目を理由にして、それを受け入れろといって要求するので、そんなものに耐えられる人は中々いなく、続かないのです。そしてこのタイプの特徴はよく怒ります。
2を選ぶ人は、控えめに15くらいの本当の自分をだします(このタイプは決して最初から70もださない)。その時の彼らは相手の反応にとても注意を払っているので、ちょっとした相手の反応をとって、自分は嫌われた、このままでは嫌われると思い、その関係は破綻します。
極端すぎる彼らの欲求は、つまり受け入れて貰いたいという欲求の事ですが、それが強いために2が起こるのです。彼らは結局、おおかた誰にも本当の自分を出すことはなく、かりそめの自分で生きています。残念なことにすこしずつ受動的になり、人を捜すことをやめて、一人きりを好むようになっていくのもこのタイプなのかもしれません。そして自分は他の誰よりも一番傷つけられてきたと思いこむ事も、ある種の人間関係に対する諦めに拍車をかけていることは、否めないでしょう。
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