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破損と通過儀礼

ボーダーラインには構造に対する徹底した反発や回避傾向がみられるように思われます。彼らは身分や地位、貧富といったあらゆる構造的なものを排除した関係、つまり反構造的であって尚かつ平等で在ることができる関係を求めます。


また「構造の中では自分を見失ってしまい、逆に反構造の無所属において自分を表現できる」という感覚が強く内在しているようです。これは構造下においての彼らの脆弱さを表していると同時に、彼らのもっている異邦性と徹底した恒常性を表しているように思われます。


反構造的なものを好む事と、非日常的なものを好む事はほとんど同義です。ロックコンサートやトランスパーティ、レイブなどの開放的でかつ非日常的な空間において、彼らが満足感を覚えるのは偶然ではなかったのです。


彼らが求めているものが、はじめからそういった非日常性であり、できることならばそれを常に感じたいとさえ思っているようなのです。また過熱したグルーピーなどに見られる破滅性や性の問題においても、あまりにも非日常的であるといえるのではないでしょうか。


ただこういった非日常性や反構造的な一定期間の生活を、簡単にけしからぬことだと決めつけるのはどうでしょうか。なぜならそういった生活が一つの通過儀礼となりえるからです。


死と再生の過程においてそういった短期的な要素が、特にボーダラインにおいては(その躁鬱的な傾向からいっても)一般の自分を破損しない程度の通過儀礼よりも、こういった強度の感情的な通過儀礼の方がむしろ適しているように思われるのです。


彼らはそれを重大に受け止めるでしょう。そしてその重大さが彼らの根本にある不安感を支えてくれるような大切な自信へと繋がっていく可能性もあります。そういう意味においても彼らは自分を破損しながらも学んでいくという一群であるといえるのかもしれません。



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