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仮面と本当の自分

彼らの中には周囲から「良い子、素直な子」であると見られる人達がいるようです。柔和な顔をして、傲慢なところが一つもない。これは本当に良い子だ。親の教育が良いからだと言われることでしょう。また僻みっぽい人からは、しっかりしていない、苦労をしていない、まだ世間をしらないと言われることでしょう。


そういう人は決まって疑う事をしらないのは馬鹿の目印であると考え、柔和な表情をしていると人からつけ込まれるからという理由から、過剰に毅然に振る舞おうと努力する人達です。両者どちらにしても、彼らから無垢さを感じ取っているからこその、発言のように思われます。


普通良い子だというのは褒め言葉のような気がしますが、彼らにとっては少し違うようです。


・良い子だと発言した人の前では自分を出せない(悪い自分がだせないので関係が苦痛)

・良い子だという言葉になにか強制や指示を感じる(良い子で居続けてねって聞こえる)


これを見ていると彼らがいわゆる一般的な意味での「良い子」ではないのではないかといった疑問が湧いてくるはずです。実際に彼らは性格が綺麗で行いが正しく良い人なのかもしれません。ただ「良い子」ではないのではないでしょうか。彼ら自身も自分では良い子だと思っていないようですし、その決めつけが苦痛の原因とさえなっているようにも見えます。


また彼らは「どれが自分なのか分からない」といった考えを起こしやすいようです。その時々によって様々な形を適応してきているので、それぞれが自分という意味をもち、存在するのが原因のようです。これは彼らの不安感の裏付けとなり、その不安感を解消しようと自分の生き方(対人との関係性や接触の仕方)を一つに決めようと思うのですが、それができません。また彼らはなぜそれが決められないのか分からないようでもあります。


周りからのイメージにことごとく調子を合わせてしまい、その結果辛くなるというのは、彼らの特徴でもあるようです。対人との間の絶対にうまらない溝を強く意識しているのも彼らです。境界例的な意味でいうと、見捨てられ不安が云々……と続くようですが、今回はアダルトチルドレン(機能不全家庭に育った人)の枠内での話に近い部分があるように思います。そもそも境界例自体が家族の問題に深く根ざししているのだから、アダルトチルドレンとの重複も当然と言えば当然ですね(・・;)



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