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今の肯定と否定(葛藤)

境界性人格障害は他者とのつながりの中で、同一性上の(アイデンティティの問題による)葛藤を引き起こしやすい特徴があります。自分はもう大人で一人で生きていかなければならないという確信と、なおかつ正反対の、自分は一人ではまず生きられないという確信を同時に心の内に発見してしまうのです。


それが原因で常に満たされないような感覚、大切な人と一緒にいても「今、ここでいる事は正しいのか」といった執拗な疑いに翻弄されます。これは強迫的になりやすく、四六時中浮かんで、その苦痛から逃れる為にさまざまな手段で現実逃避するはめになる時があります。ようするに現実というものは(一人で生きなければならないという確信は)彼らには巨大で圧倒的すぎるのです。


彼らは幼い頃の家庭環境や親の過ぎた過保護、放任によって(※1)さまざまな原始的は不安、疑惑、恐怖にさらされやすくなっています。また大切な人との離別や裏切り(妄想ではなく、事実裏切られた経験)によって、人間全体を悪と見て、その悪から身を守る為に過剰に警戒的、妄想症的になりうる場合があります。この結果、「社会は圧倒的で気の許せない弱肉強食の場所」だと思い込んでいきます。


そのような不安や恐怖の中で、大切な人といても、自分を赤子同然のように感じ、相手を親をように感じ、甘えてしまう。けれどもそんな事を続けていても自分の成長はとまったままで、この相手が自分を見捨ててどこかへ行ってしまったら、一体自分はどうなるのか……といった見捨てられ不安がいよいよ深刻に発生してきます。


この種の見捨てられ不安が強くでてしまうと、その相手との距離が分からなくなってしまい、肯定的な自分の意志と(一人で生きる事)、否定的な自分の意志の間で(一人では生きられない)揺さぶられることになるのです。彼らにとって肯定的な自分の意志は同一性の取得であり、否定的な自分の意志というのは同一性の取得の失敗だとなります。


同一性を取得したくても、社会にたいする不安、恐怖が強すぎて中々うまくいかない場合があります。自分が誰なのか分からない状態はより一層、彼らを追いつめて深刻化させていくでしょう。自分はとるになりない馬鹿者だ……と自ら烙印を押して、自己卑下に陥っていきます。どうやら社会不安と同一性の問題はある程度関連性があるのではないでしょうか(;_;)カラッポダ


※1.親や家庭環境のせいで境界性人格障害が生まれたとしましょう。だからといって短絡的に「自分がこうなったのは親のせいだ!」という意味ではありません。親は神ではなく一個の人間です。良い所もあれば悪い所もあります。なので親への怒りを煽動するつまりはありませんし、親の在り方の間違いだけで境界性人格障害が生まれるとも言うつもりはありません。



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