万能者を希求する姿〜1〜
彼らは大まかにいうと以下の欲求を抱えています。
1.他者を通じて自己確認したい欲求
(他者の中に自分をみる)
2.自分という一つの同一性障害者を救助してもらいたい欲求
(生き方の見当がつかない)
3.自らの存在自体をどんな場合にも認知してもらいたいという欲求
(善でも悪でも)
4.永遠の理解者、伴侶、保護者を身近におきたい欲求
(現実、又は想像上の)
特に4にいたっては、そんなものいるはずもないのです。だが彼らはそれを分からないで探しつづけようとします。これは幼児の頃の親の姿を再度求めているからなのかもしれません。愛情を注がれすぎた場合、それをずっとあるものだと思い探す。反対に愛憎を受けなかった場合、飢渇状態を潤す為に探す。
境界例は他者にそういった永遠の認知、愛情のようなものを求めやすく、それに応じてくれないと分かるやいなや、急速に怒りが爆発して「死んでやる」又は「最低ね。私は次を探すわ」となっていく傾向があります。
求めるものが存在しないなら死んだ方がマシだという考え。相手の価値を下げ次へ向かう傾向。その循環の中から一歩でる事が彼らの成長なのかもしれません。彼らは異常性には気付きにくく、だいたいがこれらを繰り返し、堂々巡りをし、ただ漠然とした己への嫌悪と欠損感情を抱えて日々暮らしているようなのです。
彼らは自分の性格を語る時こう言ったりします。「好きな人はものすごく好き。嫌いな人はもう最低」全か無か、100か0か、この思考形態に違和感を覚えることは少ないようなのです。逆にその考えが当然だと思い、仕事仲間などがうまく対人関係をやっていくのを見ると「なんて器用に生きるんだろう」と思うようです。
だけどここで羨むことはないのです。自分の思考形態の方が率直だし正直だと思うからです。いくら対人関係が波乱に満ちていても、心の内のどこかでは自分の考えの方が優れていると思っている場合があるからです。器用に生きる人間は馬鹿だ、そう思う人も少なからず存在するようですね(・_。)カチ
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