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過去への反発と依存

ある停滞期や不安定期において、過去の自分に自惚れる場合があります。それはあまりにも現時点での自分の姿が、以前自分が想像していた姿と異なっていたり、ある諦念の感情に捕らわれている場合に起こりやすいようです。


確かに彼らが、過去の中にいるいくつもの自分の影に満足を覚え、もうこれ以上はいらない、と思うのなら、それも一つの生き方でしょう。なぜならば過去の姿というのは自分の中では永遠であります。とても満足のいく形で保存されているワンシーンがあれば、それはもう終わってしまった事柄なので汚されることも虐げられることもありません。それに満足してしまう気持ちもとても分かります。


逆に過去の汚点と困難に満足する場合、これは一体どうなっていくのでしょか。人はある状況において、自分の悲惨さにまで自分の栄光と自己を認めたりしたり、一種の個性を確認したりします。これは精神的な依存です。それもなにか一種特別な変わった依存です。


そう、人間は荒れ果てた荒野に一人ぽつんと下を向いて座っていたりすると、自分の弱さや出鱈目さに依存する場合があるのです。周りにパンがあっても、水があっても、そっぽを向きます。彼らは自分のあまりにも堕落した姿に、想像上の少しの快楽と独自性を求めたりするのです。


これは丁度、アルコール依存症患者に家族が「もう呑むな」と言っても、まったく効果を示さないのと同じ理屈です。彼らは時々、依存対象を完璧に間違っていても、全然気が付かなかったり、逆にそれを気付かせようとしてくれた人に向かって「馬鹿野郎」と吐き捨てたりする場合が、確かにあるようです。


自分の弱さに酔いしれるというのは何もここ最近はじまったことではありません。大昔からそういう例は沢山あります。そしてその内の多くが、じきに酔いから醒め現実を認識する努力をしたり、自分のマゾヒズム的性向を改善しようとします。本当に「ずっと」酔っていられる人はごく僅かです。なぜなら人間は飽きてくる動物だからだと思いますが(・_。)トウスイ



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