死からの出発
彼らは親からの精神的独り立ちが出来ないことによって、怒りと虚無感を同時に発生させる場合があります。自分が不甲斐ない……といった感情に捕らわれ、親に八つ当たりしたり自分を傷つけたりします。
親にいきすぎた従順さを発揮している子供は健康な場合もありますが、やはり見捨てられ不安を強く抱いている場合もあるようです。「親が死んだらわたしも死ぬわ」独り立ち出来ていないまだ依存状態にある場合はきまってこういうでしょう。
親に従っている。悪いことではありません。親を殴りつけるよりはよっぽど健全です。けれど彼らは不安がります。親がいずれ死ぬのは確実です。もし明日にでも死んでしまえば、彼らは生きていくことが出来ないでしょう。それは精神的支えを失ったからではないんです。自分の本来の姿があまりにも空虚だと、ここで初めて確認するからなんです。
彼らは自分の姿を成長させられない状態で生きてきたんです。親と自分を同一視するあまり、見たところしっかりしている風に、ちゃんとやっている風に見えるかもしれません。ただそういう時期に成長はありません。あまりにもその同一視が長引きすぎると、さらに取り返しがつかないほどに長引く可能性があります。なぜならば、自分の本来の姿をすっかり忘れてしまって、親の姿を自分に置き換えて自分は随分成長したと勘違いするからなんです。
そういう一部のボーダーは親が死んだら、本当に死を選んだりします。また逆に初めて自分の人生をスタートする場合もあります。自分が親という権威の下でどれほどに自分を殺し生きてきたのか。その時に分かるのです。自分がどれほど必死で犠牲者という役割を自ら進み出て果たしていたか、自分が無く自信がないばかりに、どれほどわざと自分を痛めつけて親を心配させにんまりほくそ笑んでいたか。
親が死んだら、あなたは泣くのでしょうか。悲しい顔をしていても、きっと心が軽くなったと自覚するでしょう。それでいいんだと思います。親は死をもって、あなたに歩き出させようと、たった一人でもう一度生きさせようとしたんだと思います。親との最初で最後の結びつき、始まりと終わり、束縛と自由、そして出発。さあ切符をもって最終列車に乗り込みましょう。生きよう(・_。)ブーンガタガタ
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